劇場版「若おかみは小学生」の評判にみる「良いアニメ」の難しさ

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シロクマ先生がなぜかエロゲテイストを感じてしまったらしい。「痕」あたりをマイルストーンとして「地方でちょっといい感じ」の場所に「若い女性がいっぱい」はそれだけでエロゲテイストたりうるので、否定はできない。
自分としては、おっこのライバル「秋野真月」が洋館造りの踊り場テラスのような場所でくつろいでおっこを出迎えるシーン、あれはキャラクターの類似性もあって「Fate」の遠坂凛を思いっきり想起させたので、エロゲ臭、あると思います。あのシーン、あそこまで歌舞いた舞台装置である必要があったのか(笑)そういうとこだぞ!

他にも、ゲストヒロイン「グローリー水領」の占い師シーン、愛車のポルシェの描画や音までの質感、ビジュアルの見どころは実に多い。

ストーリーはもともと定評ある原作であり、おそらく子供向けに100分弱に収めるため本来のシーンを削っている感があり、繋ぎが唐突なシーンがいくつかあるが(完全版期待)大幅マイナスということはない。短いのはプラスもあるので。

間違いなく良作ではあるといえるが、本年度最高傑作!という形でてっぺん評価するのはちょっと躊躇する。

アニメーションならではの表現がやや乏しいのだ。もちろん出来は良い。アングルなども凝っている、が、写実の表現の延長であって、幽霊というアニメ向けの設定があまり生きているように思えない。鯉のぼりのシーンがそれに近いと思うが、まあ良く出来てるよね、でおおっというところがない。

監督の代表作「茄子アンダルシアの夏~」でもそういうところがあって、たしかに素晴らしいのだが、おおっというところがない。

実写のSFXやVFXのように「ここまでホンモノ」「ここからニセモノ」「それをいかに区別させないか」という苦心の区別がそもそも存在しないところにアニメというものの良さがあると思っている。

ジブリ系の監督ということで、そっちとの比較になるが、やはり宮崎さんのスゴイところはそのへんの表現であって、「そんなシチュエーション現実にないところ」と「それが何故か手触りを持ってキャラクターから見てたしかにあると感じさせる絵と動き」に自分は感動するポイントがあって、例えば幽霊というものが見えるけど触れないという固定観念でなく、おっこからは微妙に質量を感じる、みたいなシーンがあればぐっとアニメーションとして新しいなにかを加えられたんじゃないか、というところがちょっと物足りなさを感じたところ。

監督の代表作、茄子~で最後のスパートのシーンでどんどんキャラクターが線になっていくが、アニメではよくある表現であり「ああーこれでやっちゃったか」と思ったのを覚えている。

同じ限界の表現として「紅の豚」では「限界の飛行でポルコ(豚)の顔の肉が波打つ」というのがあり、本当にあんなになるのかどうかわからないが、あの顔の肉のバタつきがとても限界を感じさせる、ああいう「現実かどうかはわからないがキャラクターにとっての感覚」を感じさせるアニメ表現というかそういうところがもっとあればなあ、と感じた。

富野監督は「対比」でそれを出すのがうまい。ガンダムはキャラクターにとって確かにそこにあって触れて見上げて見下ろして存在する物体として感じさせるのがとてもうまい。だからこそアニメのプラモデルがスケールモデルと同列に並ぶことが出来たのだと思う。

この現実ではないものを、キャラクターにとっては確かに地続きの地平にあるのだ、という想像の表現にすごく魅力を感じるのだ。