劇場版、若おかみは小学生!へのモヤモヤ

 ああ、これだ。椎名先生さすがです。

出来がとても良いのはたしかにそうなんだけど

「この内容でなぜここまでの品質にしなければならなかったのか、その企画の意図がよくわからないし、この品質にするべき新しい表現方法が極めて効果的に使われている、という風体でもない。ただただ高品質だけど狙いがわからない」

そう、これがモヤモヤの原因だった。

カップラーメンをものすごいクオリティで作ったのはそれはすごいことなんだけど、だからといってカップラーメン以外のモノになっているかというとそうでもない、みたいな?

TVシリーズ版、スタッフは違うし、当然劇場版クオリティではないけれども、劇場版と比べてそんなに「若おかみ」の面白さや良さを損なっているとは思わない。全然違和感はないし、最終回の停電した旅館でサイリウムを使った渡り廊下や温泉の演出、最後の天の川など(さらに後片付けが大変というオチもつく)まったくもって劇場版と変わらない面白さだった。

劇場版のクオリティと「若おかみ」のお話の面白さの連結度合いが完全に噛み合っているというわけではないのだ。絵のクオリティとお話の面白さ、それぞれの良さがあって、両方楽しめる、が、それらが噛み合ってあと一歩昇華されていたらもっとすごい作品になっただろう、というところがモヤモヤするのだ。

劇場版を見たあとに、TVシリーズ版ってそんな著名スタッフも使わず、予算も期間もなかったのに(15分☓2クールで、劇場版より遅く制作スタートして先に放映が終わっている)同じぐらい面白いって、実はすごかったんじゃ!という事がある。

コスパという言葉は使いたくない。企画の狙い、意図、手法、得られた感動、が見事に調和し、製作全体の歯車が噛み合ってハーモニーを奏でている作品を見たことへの感動、ということだ。

 例えばこれが、「この世界の片隅に」だと、今はもう見ることができない当時の風景や生活を表現するのに入念な調査に基づく高品質なアニメーションでの制作というのは、手法として最高に適していた、ストーリーに加えて、アニメーションという手法に物凄い手間を掛けたことが作品全体に全部噛み合ってきている、その感動、というのがある。(これは富野監督がうまく語っている。

https://ddnavi.com/news/358637/a/

 

「若おかみ」は良い作品である、

その成功は全然かまわないのだが、結果「視聴者はわかりやすい感動&ハイクオリティな映像が重要であって、小難しいものはいらない、こういうものを求めている」と今後、製作者が思ってしまって小難しいものが排除される方向に行ってしまったら嫌だな~という懸念がある。