なんか周囲の人たちがみんなテレビの出演者か何かなのか?と思えること多々。

もちろん、そうでない人も大勢いるけれども。そういう人が常時そうだとはいわないけれど。関東というか東京のオフィス街ってみんなじつはテレビの登場人物か何かじゃないかと思うことがある。なんというかな、楽しそうなんだけど皆”がんばって楽しそうにしている”ように見える。盛り上がっているんだけど、なんか“がんばって盛り上がっている”ように見える。なんか本当に楽しんでいるのか良く分からないのだ。そういのって頑張るようなものなんか?


普通?
本当に楽しいときってゲラゲラ笑うか?叫ぶか?騒がないとダメなのか?
本当に悲しいときって声を出して泣くか?


なんか映像越しに感情を伝える為にやむを得ず誇張された感情表現を、現実でもそういう風にしないと伝わらないという不安感を持っている人が多くて麻痺してるんじゃないか?


と思うわけよ。


なんていうかな、レースで勝った時なんかは自分でも本当に「飛び上がるほど嬉しい」わけだが、それは感情の言葉表現であって、“本当に飛び上がって喜ぶのか?”という感じ。いや俺はたぶん本当に飛び上がったりはしないだろうな。


そして東京のオフィス街の住人は「テレビのように本当に飛び上がって喜んで周囲にPRしなければならない」脅迫観念に囚われていて、見ているほうもそれを期待するという空気というか、ダレも撮影なんかしてないのにメディアに映ったときの風景を期待されているのかとかなんというか。なんかそういうのが物凄く胡散臭く芝居がかって見えてしょうがないわけよ。

それとも今まで自分がそういう事を抑制しすぎて、いくら内面で熱くなっていても表に出ないだけなのか?


ワールドカップとかでもそうだけど、勝ったら騒がなければならない<騒いでる風景に自分も入りたいだけなんちゃうの? 風にみえてしょうがないんだよね。どこでもダレでもそういう事はあると思うけど、東京の街のそのプレッシャーって凄く強い気がする。


知り合いの Mr.NG がレースで買ったときとか、凄く嬉しそうだけど、騒いだりはしない。けど自然と顔が緩んでる。内心はそうとう舞い上がってるだろう(とこちらは読み取れる)(ってこれは日本語の感情のうねりの表現であって本当にあんなオッサン舞い上がったらそれはそれでおかしい、と思うんだな)


だからラジコンの大会の表彰式とか凄く落ち着く。みんな嬉しそうだけど騒ぐ事を強制する雰囲気ないもんね。

ラジコンの場合、大抵その場にいる人は応援じゃなくて自分が出ているから皆そうなのかな?自分が参戦してるわけでもないのに観戦してものすごく騒ぐってのが僕にとって一番理解できない感情行動なので(ん、でもそれは阪神か)。


そういえば京都ってのは芸能やスポーツでコンサートとか大会とかそういうのをするのイヤがるらしいね。とにかく京都では観客が「ノッて」くれない、と聞く。そうそうこの「ノリ」ってのが俺は理解できないんだ。なんで周囲が騒いでるからって面白くもないことで「ノ」らにゃいかんのだ?

全員が望んでいるわけでもないのに一部の人間の思惑で起こされた波とかそういうのに「ノせられる」のは最悪だが、それは皆そうだと思う。で、どうも「ノせられる」じゃなくて、あえて「ノる」事を楽しむ人が多いように思えて仕方がないのだ。ノらずに突っ立っているのは仲間外れださみしんぼだと言わんばかり。とにかく「ノる」のが大事であって、そんな感じ。あくまで比率の問題だけれども。


そういうところで京都人ってのはこの「ノリ」が非常に悪いらしい。それが京都気質なのか? うーん、わからない。

ノリが悪いな、といわれることは俺もあまり好きではないが、最近やっと、ノリがいい、それがいいのかオイ!と思えるようになってきた。

そうそう、こちらに来て「アゲアゲ」という言葉を聞いた。これってほんとノルために無理ヤリ「アゲ」るってことやね。
この薬物めいた感情操作はどうにも好きになれんね。面白ければ勝手にアガルやろ?ほっといてんか。


あ、これ「萌え」を発音するのか?萌えを発音する人々 - Drive Space 2.5D Maniax 論議にも繋がりそうだね。