らき☆すた 1話は久々にハマタ。

初代の3分デジ・キャラット以来、繰り返し見たくなる・・・微妙な間とかセリフ、シンプルだが丁寧な絵と4コマの脳内を加速させる微妙な動き、それらがあいまって病み付きになる。京あにはホント原作の解析力が凄いなあ。

ちょうどマンガを読んでいて、特に情報量が少ない4コマだと「頭の中ではこうなってる 動き、音」感じを見事に映像に落とし込んでいるというか。もちろん、人それぞれ違いはあると思うが、そこを「こうだろ!」と投げかけ、おそらくそれはマンガ読みの中で相当に共感可能な領域に達していると思う。

マンガ原作の場合絶対的にアニメーションのほうが情報量が多いから何をプラスしていくかを考えるのは本当に難しいと思う。小説原作は逆に説明がしにくくなる部分もあるのでマイナスを考えないといけない。これはもっとむずかしいか。ゲームはその中間かねな? フルメタAIRKANONでも、構成する要素をいったんバラバラに分解して、TVアニメーションというモノに構築しなおす作業、おそらく「アニメの出来るまで」的な番組では企画会議とかで1分ですっとばされるだろう部分に相当な手間隙をかけただろう、というのが垣間見える気がしたのだが、そこで発揮された解析力+再構成力をマンガ原作につぎ込むとこうなるのか、といたく感動した。


……フルメタハルヒの場合は原作段階でおそらく作者はアニメーション的なモノ(あやふやなイメージ)を浮かべて物語を作っていたんじゃないか、と思えるので、アニメへの再構築は比較的やりやすかったのではないかと思える。リズムが似ているというかな?そこをトレースできる人なら。
AIRKANONはゲームとアニメはもうどうしようもなくテンポが違う、マンガ的でもない、ゲーム芝居としかいいようがないリズムなので大変だったと思う。ラノベの挿絵は脳内イメージ構築には非常に役に立つ情報だが、挿入タイミングによっては脳内リズムを著しく乱す。ノベルゲーってあれを延々と続けている感じで、でも続いているなら慣れるというかそれはそれで構成できるというか。


……おなじ4コマ原作の「ひだまりスケッチ」は「頭の中ではこうなっている」という間というか脳内生成中間映像を書き出すことを避けた。そこを邪魔しない程度の静止画か壁紙を入れてあとは視聴者に任せた。らき☆すた を見た後だとそうなんだろう、と思える。