実は対立していないネットと既存メディア、対立しているのは「PC」

どうもね、この手の議論で腑に落ちないことがいつもあって、それがなんだか良く分からなかったんだけど、最近やっと気がついたこと。
実は既存メディアと対立しているのは「PC」であって、ネットじゃない、ということなんだ。だってもっともっと昔のことを思い出してみて。8ビットパソコンがようやく一部の家庭で子供が手にし始めた頃のこと。(とりあえずPC-8801とか9801とか)あの頃のパソコンは9割型「高価なゲーム機」だった。家庭用じゃ出来ないゲームが出来る、CRTの鮮明なゲームが作れる、そういう要素も確かにあった。でも、家庭用ゲーム機とPCの最大の違いはなんだったか。

コピー

ですよ。ゲームがどんどん手に入る。本体さえ買ってもらえれば、あとは友達やレンタルで誰か1本借りればあとは(当事者分かるでしょ)はっきり言えばもうその頃から既存メディアを脅かしていた。(買う奴はもちろん買っていた。リテラシー問題はこの頃からあった)あの頃の子供にとってゲームソフトと言うのはおいそれと買えるものではなかったと思うが、PCを手に入れることが出来た奴は次々とゲームを遊ぶことが出来た。またPCを持っているもの同士のつながりはファミコンソフトの貸し借り以上に強い絆(笑)だった(汗)

そして莫大な容量の拡大、汎用性、およそデジタルデータと呼べるものならば何でも飲み込む現代の怪物、もはやBDでさえその手から逃れられない。500GのHDDが8500円で買える。一体その単価の中にどれだけのコンテンツをためられるのか。iPODだってその母艦なくしては小さい入れ物にすぎない。それがPC。

そして一部のUNIXワークステーションのものだったインターネットは瞬く間にPCに侵食される。ただでさえ無敵のPCはインターネットという通信手段を手に入れたことでさらに手に負えないモンスターとなった。単独でも酷かった奴らがあっというまに集団と化した。そりゃ恐ろしいって。

ただ、なぜまだ既存メディアが滅ぼされていないかと言うと、PCを使うにはある程度勉強が必要ってことだ。デジタルコピーの方法なんて学校じゃ教えてくれない。独学か友達同士で教えあうしかない中でかなりの層が淘汰される。ただし、それに生き残った奴らはもうどうしようもないほど手ごわい奴らだ。そしてゲーム、マンガ、音楽、アニメなどを特に好む場合が多い。そしてネットという大河に放たれてしまった。

でね、今問題になっている「搾取されているコンテンツ」って具体的には何よ、ということになるとまんま「その生き残った獰猛な怪物」に向かってばっかり作られてないか?ということ。

で、またその怪物たちは食べるとおいしいんだよ。しかもかかった時の引きのよさ、ドッグファイトの楽しさと来たら・・・でも大好物の餌で釣ろうとしたら腕ごと食いちぎられてる!、餌だけ食われて逃げられるというような状況。でもあいつら食いたい、釣りたいし・・・どうするべ?で、何を思ったのか網本は「悪いのはこの釣り場だ!釣り場を干上がらせろ!そうすれば奴らを丸ごと捕獲できる」(漁師は食えれば良いってモンじゃないと複雑)なんかそういう状況に思えるんだよね。ただ、それやると他のものたちまで巻き添えを食らう。

怪物魚=PC好きが多いオタ(とにかく餌くれよ。たまには釣るほうにも逆襲してみたい年頃)
漁師=クリエイター(釣りを楽しみたいのでキャッチ&リリース&網本からの給料が理想)
餌=コンテンツ(いい餌で大量につれたときは快感だby漁師)
網本=テレビ局とかコンテンツビジネスホルダー(食えなきゃイラナイ)


還暦過ぎたうちの両親などが好む「ちりとてちん」とかを例えコピーフリーで撒き餌したところで、食いつくとはとても思えない。食いつく方法さえ見つけられないだろう。(外道のオタがたまに餌だけ食っていくような状態)


でも僕はそんなPCモンスターが大好きだ。