デュラララがなぜつまらないのか考えた。

1話の主人公っぽいと思っていたミカド > ものすごく平凡なシンジくんっぽいけど、実は凄い人

帝人の友達で軽い感じのキダ君 > 実は池袋の主で凄い人

首なしライダー > 首なしライダーの正体はなんと首なしライダーだった!

ヒロインっぽいソノハラさん > 実はヒロインだった!

ドタチン > ダラーズってやつはやばいぜ! > 俺がダラーズだ!

オタクカップル > ダラーズってやつはやばいぜ! > 実は僕たちがダラーズでした!

イザヤ? > 裏の主っぽい > 実は裏の主でした!

謎の外人サイモンさん > 実は謎のガイジンでした! しかもダラーズでした!

なぜあんなにヤバイのかわからないシズオさん > 本当に強くてヤバイよ!

これでどう面白がれと?


・まず「池袋はヤバイ、カッコイイ」が前提。しかしその前提が欠落しているとわからない。ギャングとか海賊王ならわかるんだが。
・非日常にあこがれているが、なかなか日常から抜け出せないシンジミカド。
・ダラーズはヤバイ、しかしどうヤバイかはさっぱり出てこない。とりあえずダラーズが起こした事件とかを描かないと無理じゃね?そしてダラーズがどうすごいのかさっぱりわからないまま、ダラーズが登場してしまったので、ふむそうか、としからならん。サイモンさん強いし。
・首なしライダーは首なしライダーだった!それをどうしろと(汗)

まず、物語のカタルシスとして「な、なんだってー」「そうだったのかー」みたいなところ、腑に落ちていくところ、それは物語快感の基本である。

しかし「デュラララ」ではそれらはすべて吹き飛ばされ、

・首なしライダーの秘密はなんと首なし精霊のデュラハンだったんだ! <な、なんだってー ってなるわけないだろ!(笑)

これらの「超人」たちを超人たらしめている理由(バッカーノでいう不死の酒)がいまのところでてこない。また超人の能力を使って日常生活の裏で活躍する目的がキャラクターに与えられていない。

こういうガイ・リッチー的シナリオでは、まず、各キャラクターの「お当番回」である程度キャラクターを立たせ、一巡したら面白くなっていくのが基本だと思うが、どうもお当番回でも多数の視聴者はキャラをつかむことが出来ず失敗しているのではないだろうか。

2クールということはもう一巡「お当番回」があり、そのあたりで面白くなってくるのかもしれない。しかし2時間の映画ならいざ知らず、20話もの「お当番回」を見ないと掴めないというのは余りにもノンキが過ぎないか。