さいきんのChikirin女史は…

生産性の概念の欠如」がたぶんもっとも深刻
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20131015

まあ正しい事を言ってるとは思うけど、じゃあ生産性を上げるって、

・時短して支払いコストを下げる
・時短してワークライフバランスに回す。
・時短して仕事をこなす量を増やす。

果たして生産性(時間あたりの仕事量を増やす)をアップして、その先がなんにも見えないんですよ。単に人減らし、支出減らしならGDPではダウンじゃないの。
この記事、生産性でもなんでもなくて、ただ単に「ダラダラ仕事すんな、それでよくなる。以上」で終わりでしょ?経済の発展云々って書いているけどちっともそんなことにつながってないじゃない。まおゆうが「あの丘の向こうを見たくはないか」で始まって「あの丘の向こうを見よう」で終わっているのと同じ。

逆に「あの丘の向こう」を見たければ、生産性なんかぜんぶ無視してもいいからスゴイものを生み出してくれ!ってなところがこれからの本当にトコロじゃないの。これからも戦後みたいにひたすら生産性≒量産性の物量で勝負するならいいけどさ〜

ちきりん氏は本当はすごく優秀な人なんだけど、誰にでもわかりやすく書かないと受けないから、わかりやすく書こうと単純化して書きすぎて、結局バカなことしか書けなくなって、結局それは本人のアウトプットは結果としてバカだから、バカにしか見えない。

これってマスメディアは選りすぐりの人材しか入れないのに、結果として知識層にはバカにされるアウトプットしか(ほとんど)出てこないという現象と同じじゃないのかな。多分本人は「そんなことは承知のうえでやっている」のだろうけど、たまには解釈さえ難解な超絶議論を引き起こすようなエントリーを書いていかないと「そんじゃーねの人」で終わりそうな気がする。いやネットではそれでいいから、ってそこまでわかってやっていると思うけど。

ただこの記事だけじゃ、行き着く先はいつものコピペ

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、

「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」

と尋ねた。
すると漁師は

「そんなに長い時間じゃないよ」

と答えた。旅行者が

「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」

と言うと、 漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。

「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」

と旅行者が聞くと、漁師は、

「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。

「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。

「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」

「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」

「それからどうなるの」

「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」

と旅行者はにんまりと笑い、

「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」

「それで?」

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」

ちきりん氏にはあの丘の向こうを見せてほしいんだよ。

ま、丘の向こうが楽園じゃないことを知っているのかも。
ただ、丘の麓の平野はじきに侵略されるから上まで上がっておいで、でも上の土地はそんなに広くない、ってことだろう。