ケータイ小説(笑)のこれからを考えてみる。

「内容」については、まだ表現が目新しい、というのが先でストーリーがうんぬん、を評価するのは時期早々という感じだ。母数が少なすぎる。ただ、自分自身SS(ショートストーリー)を書いていて思うのは、小説を書きなれない状態で電子メッセージに慣れると、ついつい「セリフでお話をつないでしまう、つないでしまいたくなる」という現象だ。これは自分が強烈に実感したのでよくわかる。つい、

「そういう男にしてはクエスに冷たかったな!」
「俺は彼女に父親になどなれない!」

とか、こういう感じ?映像を頭に浮かべながらだとついこうなる(笑)もう意識して意識して「セリフでつなぐ」を追い出さないと小説っぽくならないのだ。いかにしてセリフを無くすか、の勝負といってもいい。ハルヒみたいなキョン一人称だとオール心のセリフ+口に出したセリフだから書きやすいかと思いきや、それをやると説明を入れたくなる(笑)

もうこの葛藤だが、なにをそんなに葛藤しているの?素直に書けばいいじゃない! といわんばかりにケータイ小説。これを実現できたのはやはり「64文字1センテンス」だと思う。センテンスが短いから、セリフばっかりパート、説明ばっかりパート、がうまく細切れになって長々しくならない。

以前ユーフォーカフェでちょっとアニメ台本を読んでみたことあるけど「これでストーリーを理解して感情入れられる声優って天才」と思った。絵が無い状態ではどうにもならん。演劇だと「台本読み合わせ」で各キャラクターのセリフ応酬の中でつかんでいくところであるが、アニメの収録で「読み合わせ」なんかやってんのって劇場クラスでやっとこさ、というところだと思う。おそらく自分以外の役を頭の中でマルチ展開して、一人で読み合わせしてるんじゃないかなあ。もっとも仕事と割り切って「与えられたパートでそれっぽくしゃべればOK」レベルの人もいると思うが(ハヤテの若本とかそんな感じ。ある程度人気と実力がある声優がゲストで呼ばれると完全に浮いているときなんかがそうだと思う)台本がケータイ小説チック(というか、実際シーン説明とあわせて読めば当たらずも遠からず)だったら楽だろうなあ(笑)

逆にアニメやドラマの逆ノベライズをケータイ小説表現でやってみると面白いかもしれないぞ。