××主義という名の理想システムさえ構築すれば何もしなくてもうまくいく、いや決してそんなことはない。

・池田先生や木村剛さんが望むような経済政策を実行するとどうなるか
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↑は完全に経営者側の立場を優先した政策をとったら瓦解した国のお話。

一方で完全に労働者側の立場を優先した政策をとったら瓦解した自治体もある。

じゃあ、資本主義、社会主義どっちがいいの?ということなんだが、おそらく「どんな理想の社会システムも、完成した時点から崩壊が始まる」ということだと思っている。完成するということは停滞するということでもある。何かに到達すればあとは悠々自適。それは届かないユートピアである、と。

以前、「なぜ京都の企業は強い企業が多いのか」という記事で「伝統的に共産党が強く、強い労働組合が多かったから」という意味合いのことがあった。ただ、これは「労働者の権利意識が強ければイイ会社ができる」という意味とはかなり異なる。一方でこの手強い組合となんとかしてやりくりしながら、どうすればいいか懸命に考えた経営者がいたからでもある。つまり「強い労働者と戦う経営者も切磋琢磨し、また労働者も団結し、結果的に衝突のエネルギーのベクトルがプラスになったから」ということである。どっちかがどっちかを押しつぶした場合、もう力がいらなくなった支配者側はエネルギーを出さなくなる。ここが問題なのである。

結局のところ、「なにか理想の社会システムに到達すれば、あとは永久機関のようにうまく維持し続ける」ということはないんだな。

僕は労働者なので基本的に「la_causette」さんの意見にこそ賛同する部分が多いし、現代では労働者側の力が弱まるばかりだから、基本的には経営者側にたいして強く責任を求めていくつもりではある。だがそれは経営側を身ぐるみ剥いで簀巻きにして川にどぼんして遺産みんなで分配ウマーという意味ではない。そんなことをしても結局は資産を食いつぶして終わりである。

また新自由経済主義の実現というのは経営者や資産家にとってのお菓子の家みたいなもので、お菓子が大好きだからといって、お菓子の国が実現したら結局栄養失調と糖尿病で死んでしまいましたとさ、という話だろう。

様々な衝突や矛盾、葛藤で悩むということは考えることでもある。ユートピア的社会というのは悩みも考える事も無くなる社会だと思うが、おそらくそれは痴呆へ一直線だ。

池田信夫先生などは「もっと(経営者や株主や資産家に)自由を、自由を!」と言ってるけど、じゃあなんでその自由(と言う言葉の経営者保護)を社会から与えられなきゃ出来ないの?それこそ自己責任放棄してるやん、と思うんだけどな。