裁判員が裁くべきは被告よりも裁判官(他 司法関係者)

下記の記事はかなり過激だし、記事内にあるような「メディアに取り上げられたような事件」に関してはそれなりに社会の目というものを意識するので、裁判官もそれなりにちゃんとしていると思う。だが、おおむねの趣旨「官僚裁判官に鉄槌を」という点については僕も賛成だ。裁くべき相手は被告ではない、裁判官だ!という発言がメジャーメディアで出ることは歓迎したい。あと検察官ね。官僚度でいけば検察官も相当なモノだ。官僚検察官!

“官僚裁判官”は腐りきっている…非常識!トンデモ判決”
フリージャーナリストの門田隆将氏が、5月から始まる裁判員制度を“歓迎”する新著を出した。裁判員制度については時期尚早など批判的な論調が多いが、門田氏は「新制度は官僚裁判官を“神様”の座から引きずり降ろす最後の手段」と語る。その真意を聞いた。
http://www.zakzak.co.jp/top/200903/t2009031639_all.html

いやほんと、検察と裁判官のカードゲームに振り回される被告は悲惨です。「今年はあの検察官は絶賛交通事故起訴キャンペーン中なんですよ。裁判官も実績が欲しいからこれ以上争っても無駄ですよ」と弁護士は言う。おいおいキャンペーンで有罪にしてくれるなよ。交通事故の場合、ちゃんと刑事とは別に保険での賠償なんかもしっかりあって他の傷害とはまた違うだろ…で、おい弁護士、テメーもぐるじゃないか。ちゃんとしっかり仕事しろよ。
キャンペーンだの実績作りだの検察との貸し借りだのノルマだの忙しいからだのそんなことで裁判の行方決めてるんじゃないよ。まったく事件そのものと向き合ってないじゃないか、ということがゴマンとある。
彼らにその能力がない訳じゃない。むしろある。そうしようという雰囲気さえあれば。ただ固着化した雰囲気の中でつい日常的に向き合う仲間内のほうばかり気にして、全然事件そのものとは向き合おうとしない、そういう風潮は確実にいまの司法にはある。

門田氏がいうような大事件、裁判の前に報道されるような事件。正直コレに関してはさすがに司法関係者もそれなりに事件と向き合うことが多いので実はあまり問題ないが、「テレビ見ない」「雑誌もよまない」「新聞も読まない」「ネットも見ない」というのはむしろ裁判官に顕著だ。まあこれはそうしないと不公平な判断になるから、というのはあるんだが、不公平にしないといいつつも、実際は検察官の方が圧倒的に整然とした資料を作成し、場慣れもしているので、どうしても検察ペースで進む。裁判官にとっては「検察官=メディア」だ。そこに個人が立ち向かうというのがいかに困難か分かるだろう。だから基本的にもっと世情に詳しくあって、つねに「一国民」であることを意識して欲しいと思う。

まあ、いつの時代もそうだが「すばらしく仕事に誠実な公的機関」というものが存在すれば「民営化」はいらない、というのは確か。とはいえ、「自浄せよ」というフレーズほど無意味なモノもない。

裁判員がすばらしい制度とは思えないが、最終結論を出すわけではないし、司法関係者の「緊張感」と「使命感」を思い出すきっかけになればと思う。

とはいえ、裁判員側もそういう意識で望む人がどれぐらいいるかは未知数だし、むしろ期待できないのも確か。あくまで最終的には司法のプロである人たちの「自浄」を望むしかないのだ。