鉄血のオルフェンズはなぜつまらないのか。続

正確には、「つまらない」のではなく、「なぜガンダムと合わないか」がわかったというか。

24話も見てきてやっと気づいたのだが、鉄血のオルフェンズは例の「杯」だけではなく、全体のフォーマットが終始「ヤクザ映画」そのものだ。気づかせてくれたのは3月から出てきた「セーラー服と機関銃

言ってみれば、セーラー服をドレスに、機関銃がモビルスーツ(チャカがプチモビ)に置き換えたものだ。つまり「赤いドレスとモビルスーツ」という作品だ。

「鉄砲玉用のガキが反乱起こしたところに出戻りの姐さん迎えて○○連合に殴りこむ」という話だと思えば全部すっきりピースがハマる。

盃はもちろん、途中シノギのために労働組合にチャカ流したりとか、家族を養うために組に入った奴が死んだりとか、生き別れの弟と再会したとか、敵方もまとまりがなくへんなコダワリがあって負けたりとか、ご隠居を姐さんが引っ張りだして連合でケリつけてくるわ(now)なので、当人にとっては戦争でも世間全体からみれば一部の勢力攻争でしかないため世界が〜とか言ってる割に一部の道路封鎖ぐらいで最終回が終わりそうな感じ。



基本的に【バトルマンガ】のフォーマットはヤクザ任侠と相性が良い。
勧善懲悪的というか、この場合の勧善懲悪はあくまで「主人公側」と「それ以外」なのだが、ある道徳(ルール)に従うことで相手と立ち向かう。
善悪がはっきりしてるというのは、この場合の「ある道徳」を世間一般的に受け入れられやすい「善」と「悪」としているだけで、いわゆるワルが主人公だとしても、ヤクザ任侠映画でも「本人ではなくグループなど外部にある道徳(ルール)を芯とし、それに主体的に帰属し、身内を大切にするため戦う」という行動であるならば勧善懲悪的なのである。

一方でガンダム(特に富野作品)というのは、そこが非常に曖昧だ。良く当時のガンダムを表する言葉として「勧善懲悪でない」という表現が多かったが、それは単に「それぞれの陣営に主張がある」という意味だった。
しかし、今あらためて考えてみると、むしろそれだけなら単に善悪が反転する立場を交互に描くだけだ。それだけではなく、キャラクターが必ずしも「身内も含めた外部の道徳(ルール)にあまり従わない、それによって不安定である」ことがあるのだと。つまり「勧善懲悪でない」という表現よりも「キャラクターが精神的に何かへの帰属が弱く不安定であること」のほうがバトルマンガ的に異質なファクターだったのではないかと逆にオルフェンズに気付かされた。

だいたい家族関係が良好でないキャラクターが多いし、だからといってグループの規範を全面的に受け入れているわけでもなく「しかたがなくそこにいる」が「いるうちに”それなりに”愛着も湧く」が「ひっくり返ることもある」というとにかく不安定な状態だ。そこに「モビルスーツ(をはじめとするロボット類)」がキャラクターの心象構築にある程度大きなウエイトを占めることでロボットの存在感が増す。ガンダムを操縦することが自己主張の一部という描かれ方をすることで、ただの生産兵器として扱われるリアルロボット系にもかかわらずその登場メカニックにまでキャラクター性が付加されていくわけだ。
そしてそんなキャラクターたちの個人的な事情にいつの間にか世界の行く末がかかっていたりするところに「面白さ」があるわけだ。
このあたり、むしろ鉄華団という強固な拠り所があり、世界を平定した伝説の遺産兵器スーパーロボットとなったガンダムフレームに乗って世界のために戦っているわりにイマイチ世界を巻き込んでいる気がしないオルフェンズと対照的である。

この「キャラクターが道徳的に常に不安定」で「ある特定の道徳(ルール)に全面的にはなじめない」「その不安定さをなんとかしようと言葉を紡ぐ」のはバトルマンガには非常に不向きな要素である。

だからこそ世間にうまくなじめないヲタクの心をがっちり掴んだのであるが、やはりバトルマンガとしては非常に危ういのであり、そこが魅力でもある。富野作品でも主人公キャラクターを安定方向に振った「ZZ」や「F91」「Gレコ」が他ほど圧倒的な評価を得られないのはそこにあると思う。

それでもなお「不安定な危うさ」を感じさせることもある富野作品に比較すれば、オルフェンズのキャラクターの安定っぷりはどうだ。やはり支柱(規範)がグループにあって安定しているキャラクターはわかりやすい。ランバ・ラル的に言えば「しっかりしたキャラクターだ。だがそれゆえに予測しやすい」だ。

他監督のガンダムではやはり富野作品ほどではないにせよ、また意識しているのかガンダムっぽくしようとして自然とそうなったのかはわからないが、ある程度不安定なキャラクターが多かったように思う。

オルフェンズはまったくキャラクターが不安定じゃないので、逆にモビルスーツが引き立たない。だからこその面白さもある一方で、それはありふれた面白さであり、やはり「これはガンダムらしくない」と思えるのである。

※オルガにしてもふらついているように見えて「鉄華団」という外部の芯がある。この外部の芯が視聴者から見てあまり揺るがないということが「安定」なのである。芯がない、また芯が不安定だと見ている方はホントゾワゾワして落ち着かないのだ。それが面白さに繋がる保証はなく、不安定だからいいという短絡的な構造ではない。ただガンダムらしさは出ると思う。

※盛り上がりは全然なかったが「鋼鉄の意思アルジェボルン」のキャラクターはなかなかガンダムっぽかったかなと思う。