鉄血のオルフェンズはなぜつまらないのか。終

鉄血のオルフェンズが最終回を迎えた。まあ大団円といってもいい終わり方で、勢いはあったがよくわからない終わり方をすることが多いアナザーUCガンダムとしてはキレイな結末ではないだろうか。(二期は発表されてますが)

前回のままヤクザ映画で突っ走るかとおもいきや、なんだかみんな解脱してしまったような爽やかさで、とにかくこの作品はチグハグだ。思わせぶりな台詞は全部「うるさいな」で潰されてしまうことや、それでいて鉄華団内部では浪花節がまかり通る。

なんで、こうなるか、というのは、想像ではあるが…

鉄血の作られ方(想像)

お題「今までと違うガンダム

A「任侠!」
B「冷酷!ヒーロー台詞ダメ!」
C「格闘!実弾!ビームダメ!」
D「未開開拓!」
E「女性活躍!」
F「漢!」
G「電車!プチモビ!
H「団結!打倒既得権!

総括「じゃあ○はA、△はB、□はC…な感じで…いいかな?割り振りはアレは○話…コレは△話…担当はコレなら○さん、アレなら△さん…ソレは□風でいきますか…

つまり、「お題」でみんなから上がってきた「今までと違うガンダムと思われる要素」を一通り詰めてみました、という「総花弁当」状態になってしまっているんですな。

これをうまくまとめて1本の作品としてキレイにまとめて完結させるという意味ではスタッフの手腕はスゴイと言える。それはそれで非常に素晴らしいことで、技術としては決して貶められるものではない。

しかし、1本の作品として盛り合わせや混ぜあわせがうまくいってないので、一つ一つは決してまずくないのに引き立て合わない。監督が強引ならうまくいくというものではないが、やはり噛み合ってない、咀嚼、撹拌できてない要素が多すぎる。

例えばビームを無しにしたことでビームの打ち合いはなくなったとしても、ならタイマンやケンカMSと組織で戦う要素が噛み合ってない。例えばグレイズのような量産機をだしてしまったためにタイマン格闘の必然性がすごく薄れてしまった。もともとガンダムフレームは72体、という設定があったのならば、量産MSは話にならないほど弱くして(エルガイムのA級B級のように)エースしかA級MSは乗れないようにするという手もあっただろうに(少数タイマンの必然性が出る)そんなのはガンダムらしくない!と量産機にこだわり、挙句の果てにラスボスがグレイズでは「ガンダムフレームの意味って…」となる。
(このあたり、エルガイムや、比較的最近だと「ガン・ソード」なんかはうまくやっていると思う)
(ビームを弱くした例では「ドラグナー」がある。これも「関係者ドリブン」「調整型監督(総括者)が強く感じられる作品で、シーン単位では見どころも多いのにトータルではイマイチピンとこないところも「鉄血」と似ている)

つまり、話の内容に与えられた必須お題でも世界観にそぐわなければひねってこねてごまかしてしまうのではなく、「ガンダムらしい(量産)」「ガンダムらしくない(格闘、実弾)」「スポンサーはプラモデルでガンダムフレームってのを入れるからね」といった何か芯があればスンナリ入りそうにない要素でも、要請があれば「ああ、わかりました」で素直に(ごまかしやひねりも工夫もなく)順番に入れてしまう、いや話の方をいじって適当につじつまを合わせてしまうからこうなるのである。逆に言えばオルフェンズの芯とは「来るもの拒まず」である。

このあたり「総括担当(たぶん監督だが、監督かどうかはわからないので)MS設定にはあんまり興味が無い、そのパート担当者まかせだろう」といえるのだ。

一般的にストーリーが完成する前に広報用や製作用に作られる「イメージイラスト」「決め台詞」「決めシーン」みたいなものが大量にあり、それをそのまま入れ込んだような印象である。各キャラお当番会で先にシーンが決まっており「このシーンを長回しで持ってくるためにはストーリーはこう繋ごう」的な。そこには「咀嚼」もなければ「ごまかし」もない。素直な入れ込み。

もちろん、素直だから悪いということではなく、例えばギャルゲーのアニメ化であればそれがいいということもあるだろう。だがガンダム(富野監督)というのはどっちかといえばそこに逆らい、抗い、誤魔化し、こねくり回してきたからこそ出た面白さというものが多分にある。そこへ多数の関係者の意向をストレートに取り込んでしまったようなオルフェンズはどうにもチグハグなのである。

もちろん多くの関係者の意向そのものが作品とマッチしていれば「歯車が噛みあう」作品もあると思う。だがオルフェンズにはどうにもこうにも歯車が噛み合わずガリガリし続けている印象を強く持った。この状況に陥ったであろう作品としては「艦隊これくしょん」があるだろう。

お色気担当の女優が「必然性があれば脱ぐ」というのと同じように、例え「お色気」(MS格闘)が作品を作るにあたって制作側からの詰め込み必須要素だったとしても、それをうまくストーリーに組み込むのか、たんなるラッキースケベなサービスシーンで済ませるのかではかなり違う。そういう意味でオルフェンズのMS戦は(それ自体は素晴らしい出来だとしても)ラッキースケベなサービスシーンと大差ない印象を受ける。なので「サービスシーン最高にシコ!」という評価が出てくるのは良いと思うが、やはり全体としてはチグハグなのだ。

お当番を別の言い方をすれば各キャラクター「歌舞伎、傾く」というか。「いよッ!待ってました!」的なところに各キャラクターの「キメ!」が入る。その繰り返し。芝居がかったとも言う。マンガのキャラクターっのはこう怒るでしょ、こう悲しむでしょ、こう発言するのが期待されるでしょ、こういうのはお約束でしょ、最近のはすこし悟り世代でしょ、という芝居。富野ガンダムの【リアル】とは、善悪がとか、兵器がとかもあるが、むしろこの「マンガちっくな傾いた芝居」を徹底的に排除するところから始まったのではないか。

ガンダム」はビッグビジネスであり、その関係者の数や意向というのはかなりのモノになると想像できる。御大は現在は御大故になにもしなくても声が大きくなっただろうが、逆に御大はそれが苦手な印象を受ける。自由になれば逆に話がまとめられなくなるというのはGレコが良い例だ。なにごとも「塩梅」というのは偶然に頼り続けるのが宿命だろう。

それでも後半は徐々にスタッフも手馴れてきて多少噛み合い始めた感はある。
1期のラストで綺麗に終わったことで、2期は「消化お題」があまり積み残されなかったように思えるため、それなりに仕切り直しができそうな状況にはなった気がする。たとえ与えられたスポンサー設定だとしても、それを活かすかただ組み込むだけかは総括しだい(監督かどうかはわからないので)期待したい。