「水星の魔女」の既視感(ああ、これ、「とある」とかの学園異能バトルモノなんだ)
プロローグはさておき、3話まで来て「面白いことは面白いが、ガンダムというよりは何かどこかで…」って既視感が喉まで出かかって唸ってたんだけど、思い出した。
なぜかロボットものだった「アイドルマスターゼノグラシア」も、もともとは「舞-HiME」シリーズのハズが、バンダイとナムコのコラボ(今はでは合併してしまったが…)の都合で、急遽アイドルマスターのキャラを当てはめた、って話も聞いたことがあり、もともとスターシステムだった「舞-HiME」シリーズであればまあさもありなんって感じで。
ロボットが無言だけどキャラを認識しているのも、ゼノグラシアのインベルを連想させる。
この1話、やっぱり「これだ」って思ってしまうな…
まあ、「ガンダムとはなにか」っていうことになるんだろうけど、初代から始まる「巨大ロボットがドンパチすることに対する納得感を出すために世界観や物語全体の構築に四苦八苦したリアル系と言われるロボットアニメのスピリット(富野、高橋、神田監督あたりの)」が薄れはじめ、ドラグナーあたりから回帰し始めた「カッコよくて面白くて(売れれば)いいやん」という良くも悪くも開き直りがあり、もうそういうの(リアル系の矜持みたいなもの)はGレコぐらいが最後なんだろう。
そういうものにガンダムというタイトルを与えることにバンダイもサンライズも逡巡した形跡さえ感じられないのが単に悲しいだけだ。
名があったスポーツカーがミニバンになってしまうとか、SUVになってしまうときの悲しみみたいなもんで、プロデュース側からすれば「しょうがないだろ売れないんだから」ってなるのは当然なのだが、古参が悲しむのもまた当然である。
で、水星の魔女、まあ面白いことは面白いが「とある科学の超電磁砲」とか、そのへんの面白さであって、そこに無理やり「モビルスーツ」の世界観を借りた巨大ロボットのドンパチに当て込んでいるので、世界観の整合性がかなりヤンチャである。
その整合性の付け方に「そうきたか」みたいな新鮮味があればまだよかったのだろうけど、どうやら難しい用語を並べ立てればそれでオッケーぐらいの雑なところが飲み込みづらい。
Gガンはそこを画で見せることに自覚的だったというのが今見ればわかる。OPが終わった頃には「この物語のガンダムはアイアンボーグでキン肉マン」ってのは納得できる人は納得できるように作られている。
あと、サンライズタイトルならビルドファイターズもかなり近い。あれを実際のロボットでやったらだいたいこんな感じだろう。だがあれは「謎の技術で動かせるプラモデル」であることで、なんでもありという整合性を取ることができた。
水星の魔女はまだプロローグの段階では騙すか媚びるか突っ切るのか、よくわからないというか迷いがあって、学園異能バトルにするならするで「マテリアライズ!」って叫んで変身するぐらいまで行けてない思い切りの悪さがまだるっこしい。借り物の面白さをあっちこっちくっつけること自体は全然問題ない。そこの整合性にこそ腕の差がでる。どうにもこの作品は、そこに「ほほー」みたいな驚きや感動は感じづらい。