裁判員制度

すなふきんの雑感日記

■[政治]裁判員制度の評判が悪い件について
http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20081110/1226270502

にもあるように、概ね評判は良くない。でも僕はけっこう良い機会なんじゃないかと思う。まず裁判員制度は一般市民が犯罪者を裁く制度のようになっているが、結局は一審だけだし控訴になった場合はあまり関係がない。じゃあ結局なんのためにやるの?ということになる。それは

  • 司法関係者の頭をぶったたき、もっとよく自分の頭で考えさせるため。

であると思っている。
まず、刑事事件では立件が検察で判断が裁判所だ。裁判所で争うのにこの2つはグルである。両方が三権のうちの司法関係者だ。被告の弁護士だって司法関係者だ。少なくとも制度上は身内の争いなのである。
そして、現在の日本国憲法制度になってからはや50年以上がたち、判例や実績、ある程度のパターンというものが出来上がっている。ほとんどの司法関係者は敵も味方もこのパターンの上で戦っているのだ。まあ定石というやつですな。弁護士なんて裁判官や検察官の顔をみてほとんど裁判が始まる前から「ああ、こいつならこういう判決ですよ」みたいなことをワリと口にする。それぐらい「身内のパターン同士の争い」になっているのだ。ほとんどカードゲームですよ。まだ弁護士は個別だからいいが、裁判官は忙しくてじっくり考える暇もない。当然「手持ちの定石」から結論に近づこうとする。それ自体を否定はしない。それぐらい歴史があり、参考になる事例があるという事はいいことだと思っている。

だが裁判はカードゲームじゃない。近年、あまりにもそれに頼りすぎ、特に裁判官は自分の頭でじっくり事件に向き合うという事をしなくなっているのではないか?という気がしてならない。光市事件のように弁護団がヘンテコで「ドラえもんカード」なんかを出してきたり、橋本弁護士(知事)が「懲戒請求カード」なんかを突然定石に反して出してくるとたちまちパニックになってしまう。「一般人には司法の常識が通用しない」とよく法曹界は嘆く。それこそがまさに向き合うべき点なんだと考える。司法の常識が悪いとは言ってない。ただ、考えることをやめてしまっていないか?そこを突いて考えさせることこそが裁判員の役割だと思う。

昔、新憲法体勢になって根幹から善悪が揺るがされたばかりの頃、高度成長で凄い勢いで国が変わっていく頃の法曹界の先輩諸氏は必死に考えたはずだ。何が正しいのかを。その結果が良かったのか悪かったのかは分からない。でもとにかく必死で考えたはずだと思う。

被告の話を聞き、法曹界に疑問を突きつけ、とにかくもう一度ちゃんとその道のプロに考えさせる機会を作ること。考えることさえやめなければ今のプロには多数の定石も情報能力も昔よりずっと蓄積がある分きっといい仕事をしてくれると思うし、それが裁判員の役割だと思う。現行の制度で裁判員を上手く機能させるには、そういう心持ちで望むのが良いのではないかと考える。
判決は裁判官に押し付ければいい。裁判官が出してきた案に対し、「どういうプロセスでそこに至ったか」「なぜそうなのか」「この被告の言い分についてどう思うか」など裁判官に押し付け、考えさせる。「最終的な結論は裁判官が出してください」でいいと思う。