capeta16巻

端折るところは端折り順調にストーリーが進んでいくのが痛快。16巻ではついに女性が一度も登場しないという展開になってしまいました(15巻もかな?あとで確認しよう)。だから硬派でいいというわけではないけれども、最初はある程度マンガとして成立させるための「クッキリしている分かりやすいキャラクター」を揃えていたんだが、描きたいことに注力していたら居なくなっていたという“流れ”が感じられて、カペタで描きたい「フォーミュラレーシング」というテーマが非常に濃く浮かび上がってくる巻でした。

(別に女性蔑視というわけではないですよ。必然性があれば脱ぐ、じゃないけれども単なる飾り花、撒餌として描く気はない、という姿勢というか、気がついたら描いてなかった、ぐらいだと思います。いわゆるサービスサービスぅはない、ということで)

「モノショックのダラーラのロッカーアーム外側にスプリングワッシャーを入れてロールの戻りを早くする・・・」なんて描画は好きな人にはたまりませんなあ〜。「イニシャルD」が多くの人に楽しめるブレンドだとしたら「capeta」は得濃のエスプレッソ、いやコーヒー豆を直で食べるレベルか。「それぐらいなら峠の兄ちゃんでもやってるんだよ!フォーミュラにはその先がある!」という台詞にはもう顔のニヤケが止まりません。過去バリ伝でもグランプリの鷹でもリアルに近づくほど人気が落ちていくという「レースモノのジンクス」があるのだけれど、capetaにはその先があるのかもしれません。

カウンタック」も最初はスーパーカーバトルが餌として用意されていたけれども、最近はいままでマンガでは主役になりにくいジャンルのクルマを丹念に拾っていき脚光を当てていくという展開に変わりつつあり、特にアメ車が頻繁に登場するのは「アメ車は駄目車」みたいな風潮の現代において非常に悔しい思いをしていた自分にとっては救いの神という感じです。(トータルの商品としては日本車のほうが優れているかもしれないけれども、やっぱりアメリカ人には敵わねえ!と思える部分が多々あるんですよね・・・RCでも・・・やっぱりバカですイイ意味で。そしてバカができる余裕。それを豊かさというんだ!という実感)

 自動車低迷、若い人がクルマに興味を持たなくなるといわれるの日本において(先日も某☆な自動車メーカーで後輩の院卒新入社員が全然クルマに興味が無いことにプンプンしているRC仲間が・・・)、こんなに面白いクルママンガが続々登場してくるのは「家貧しくして孝子あらわる」というところなのでしょうかね。