フラ・フラダンス見た。安心して見られる娯楽作…とこれが実写で出来ない邦画の凋落。
面白かった。
小気味よく、バランスが良い。
細かいところで結構手抜きを感じる絵があったりするが、それが面白さを損なうシーンではないので上手い。そのへんのジャッジに「自覚感」があるからいいのだ。
失敗して落ち込んでもすぐフォローされたり、叱責も行き過ぎない。褒める。現代で「これは不快」という要素をゼロにはしないが、加減がうまい。
往々にしてクリエイターというのはエッジを立てたくなるものだが、刺さるということは痛いということでもある。かと言ってなさ過ぎではつまらない。そこの丸め加減が絶妙である。職人らしい仕事だ。
ところどころのファンタジー要素も許容範囲におさめている。
こういうのでいいんだよこういうので…とはまさにこの作品にぴったりだ。
で、
この映画、アニメでやる必要があったのだろうか?
「フラガール」という、ほぼ同じ舞台の昭和(が舞台の平成作品)版は実写である。
と思うが、考えれば考えるほど、今だとアニメでないとダメだったんだろうな。と思う。
あの年代の役者を揃えてフラのシーンをちゃんと撮れるまで仕込めるのに付き合える芸能事務所はあるだろうか。ロケのためにスパーランドを抑えられるほどの費用を出せるだろうか。興行の規模から考えてこれぐらいのB級作品にそこまでやれる予算も時間も取れないだろう。
フルCGってのは実質アニメみたいなもんだ。なら役者だけ本物にする必要もない。アニメのほうがはるかに自由度が高い。
「スイングガールズ」でも、ジャズ演奏を役者がやれる時間をとれたのは新人だけだったから、キャストがほとんど新人になった、ということだった。
「普通っぽい映画」ってものすごくハードルが高くなっている気がする。
撮りやすい映画(邦画)の要素として「キャストが少ない」「キャストが日本人で済む」「キャストのフィジカルや特殊スキルに依存しない日常生活主体」「舞台が現代でロケできる」などがあるが、これをおおよそ満たしている「若おかみは小学生」「舞妓さんちのまかないさん」ですらアニメなのだ。もはや「内容に合わせたキャストを選べる」すらハードルが高くなっているとしか思えない。