子供が減ったのは事実だが、それ以上に大人が多すぎると思わないのか。

先日、某テレビで団塊の世代特集をやっていた。団塊の世代が日本に貢献したのか禍根を残したのか、とかそういう内容で二択して意見を聞いていくという感じだったが、僕は全部に「両方」と答えたかった。そもそも、世代自身に責任をというのは無理だ。自分で生まれるときをコントロールできるとでも言うのか?たしかに団塊世代は3年で800万人という超集中世代だが、そもそも、日本の人口って明治とか江戸は6000〜8000万人じゃなかったか?それが一気に1億強、1.5〜2倍への、つまり昭和初期に「人口爆発」が起こったと見るべきだろう。生めよ増やせよ国力増強と煽ったのは一体誰だったか?明治-大正-昭和初期の日本の指導者層である。つまり、高齢化社会の責任を取れ、というならこの世代に問うべきである。指導者層であるからして、生まれは明治、ということになろう。(もちろん、最高責任者はいうまでもないが)大正以前にさかのぼれば出生率が多少高くても成人率は相当低かったはずである。4人生まれても無事育つのは1〜2人、そういう状況でバランスが取れていたのだ。よく昭和初期世代が5人兄弟とか8人兄弟とか自慢しているが、出生数が増えて成人率が上がるという「ダブル」なタイミングで昭和初期という時代に「人口爆発」が起こり、それは発展と後世の負担を同時に引き起こした、という事だ。

たしかにそうやって生めよ増やせよという状況で増えた「若者」は確かに国力となったのであろう。しかしそれは同時に高齢化への引き金でもある。若者がいつまでも若者であればいいのだが、人間はロボットじゃない。

で、今も「生む機械」とか発言が物議をかもしているが、生まれても即戦力になるわけでもなし、僕ら団塊Jrで100万人ともいわれるニートという人が(教育を受け読み書きができる人)現在いるというのに、そちらの力を発揮できればすくなくとも現代の難局(といっている団塊の世代の指導者層)の面倒ぐらいは見られるんじゃないのか?親の面倒を見るのは子だろう?子を散々痛めつけておいて、その痛めつけた子が働かないからと言ってまだ見ぬ孫に期待するのはあまりに滑稽である。「お前達が苦労するんだよ」と子の次の心配(をするフリ)より、まず自分と自分の子の心配をしなさい。孫が祖父母の面倒を見られるようになったらまだそれでもいいけど、その頃には死んでいる可能性も高いし、そもそも孫が大量ニート再生産になったらもっと大変なんですけど(笑)

まあ、だから生め生め言う前にやることがあるだろうと。団塊Jr世代はスキップになるかもしれんが、爆発人口の調整だと思えばむしろ自然である。800万の団塊世代団塊Jrがまた800万、その子供がまた800万じゃいつまでたっても時代の繰り返しだ。つまり、団塊Jrの出生率は1.0でいいのである。多くても200万を切って自然。