非婚問題とニート、フリーター問題はそっくり?

我ら団塊Jrの非婚問題はあいかわらず一向に解決する気配を見せない(汗)でも、この問題を考えていると、実はニート、フリーター問題と実はそっくりなんではないかと思える。恋愛ニートとは言いえて妙。

  • 「なんとかなる」「まだ早い」「自分の理想と出会えてない」
  • 「気がつけば年齢がそろそろ危うい」
  • 「あやういと言っても明日死ぬわけではないからしょうがないか、実際どうしようもないし」
  • 「現実問題として年を取ると求人が減るのは確かなんだよな。0ではないけど」

ああ、そっくり!

で、発生のメカニズム

  • 「学生時代にほかの事に夢中になったりしていて就職=恋愛活動をしなかった」
  • 「一度やってみたけど、失敗して閉じこもり」

ああ、そっくり!

で、どうして昔はそうじゃなかったのか?

  • 「男の地位が相対的に高かった」
  • 「男女の役割分担が社会的に比較的はっきりしていた」
  • 「就職課=お見合い、許婚など がしっかりしていた」

ああ、そっくり!

就職=結婚できそうに無かったらある意味周囲はやっきになったわけだ。もちろん、自分で決める人は勝手にやるから、その辺は親や周囲と対立しながらも飛び出したりして成功したひとは成功したわけだ。

で、今非婚が増えているということは、この就職課に当たる部分が機能していないわけだ。これは学校の就職課なんてカッコワルイみたいなイメージで自分で飛び出そうとして失敗した人=フリーター、ニート予備軍 とそっくり重ねて見える。もちろん、成功した人もいるけどね。

自分でセミナー(合コン、サークル、バイト)などでそれなりに仕事=伴侶をゲットした人はいいとして、失敗した時に学校を通じて 就職課や教授紹介=お見合い、親の紹介その他 でなんとかできた人はそれなりに仕事=結婚についていたりするわけだ。

ああ、そっくり!

で、離職率の高さ=離婚率の高さ に関しても、学校(特に教授紹介)=お世話になった人の仲介で就職=結婚したらそれなりに面子もあるので多少不満があろうとも簡単にはやめられない=離婚できない。逆にセミナー=合コン、サークル などでなにかいい感じで手軽にくっついちゃったりしたら簡単にやめる=別れる かもしれない。もちろん、それでもその中でそれなりにうまくいったり、責任ある立場になったり、部下を持ったり=相性がいい、家庭を持つ、子供を持つ とならったら簡単にはやめられないだろう。

ああ、そっくり!

もちろん、自由恋愛で結婚してうまくいく人も大勢いるわけで、それらは仕事で言えば、自分で早くから探して目標に向かっていた人、運、偶然、いろいろあるけど、フリーで仕事を探してもそれは同じで成功している人だって大勢いる。

よく、女性に対して「永久就職」なんて事が言われたけど、実は男の地位が社会的に下がった結果、両者とも「就職」を意識しないといけない時代になったということかもしれぬ。昔は男が雇用主で女が従業員だったけど、今はそうじゃなくなった、ということだろう。

で、女性側にも結果的に問題が発生している部分があり

  • 以前は仕事でも、腰掛、お茶組、愛人候補とか言われて人間扱いされていないかわりに気楽な部分もあった。(もちろんそうじゃない人もいたけど、そういう人は自分でやって成功した人)
  • そういう差別が解消されると、今度は責任が沸いて出た。地位はなくてもお気楽がいい、という選択肢がなくなった。これが息苦しい。

ああ、ほんとそっくりだね。

でも、昔は良かった、とだけ言えばいいとは思ってないのですよ。昔の状況に不満があり、非人間的だったから今の状況があるわけで、あくまで

  • よかれと思ってやってきたことだったけど、新しい問題が発生した。
  • 結果的に昔の良いところも再発見した。

だけであって、戻したらもっと大問題がでてきます。昔がいい、なんて言うなら非婚問題は解決しても男女差別や女性の地位向上まで後退することになる。昔の非婚の少なさは女性の犠牲の上に成り立っていた、ということです。逆に仕事もしかり「仕事を選ぶなんてのはもっと一人前になってから言え!」といわんばかりほぼ学校と親のいいなり。戦後昭和のバランスが絶妙だったのは

  • 古い習慣は生き残っているが、それらから飛び出すという事に対し、ちょっと甘くなり始めた時期だったこと。
  • 経済が上り調子だったこと

というだけです。経過だからタマタマいい時期が「あったかもしれない」というだけで、本当にいい時代だったかなんてわからない。飛び出したい人は飛び出せて、まだ迷っている人には強制力があった。その絶妙な「移行期」であっただけ。少なくとも当事者は「ああいい時代だ」なんて思ってすごしたわけではなく、終わって振り返ってみればそうだったかもしれない、とうだけのこと。いつものことです。同じ時が永遠に繰り返されることはないのです。