「派遣村」の次は「日本人難民キャンプ」

まずは「派遣村」実現に尽力した人たちにねぎらいと、「派遣村」で過ごさなくてはならなかった人たちが一人でも救われることを願う。

それにしてもつくづく思ったのは「集まる」ことのパワーだ。一人一人は無力だった人たちでも「集まる」だけであれだけ行政やメディアに食い込むことができる。そのことを改めて示してくれた。集まれれば援助もしやすくなり、ボランティアの人の力も有効に生かせる。派遣村批判は数あるが、その内容については誰しも言い分はあろう。「池田信夫」なる老害が、かなり派遣村に批判的ではあるが、内容の正当性はともかく、あの内容を派遣村のステージで演説することなど不可能であろう。それが「集まる」ことのパワーだ。集まったと言っても1000人集まったわけではない。何もかも失った人がたった千人弱で霞ヶ関を震え上がらせたのだ。

次に思ったのは、もはや今の日本では「社会」という国から追い出されたら行くところがない、ということだ。住民票は国籍並の重みがあるのだと。それを失ったらもはや難民ではないか(ネットカフェ難民と言われてるし)。だったら必要なのは「難民キャンプ」だろう。日本人難民キャンプ。そんなものが自国内に必要などというのは非常に心苦しいが、早急にすべての人を救う手だてがない今、必要だと思う。

とにかく今の日本は人々が徹底的にバラバラにされている。それこそが搾取する側のもっとも有効な手段である。しかし搾取する側にも言い分はあるだろうし、ある面から見たら効率的で正しいこともあるはずだ。それを一概に否定もできない。しかし、否定はしないが対抗する力があれば言いなりにならなくてもすむ。

それに搾取側がうまくいって効率的で経済効果の高い正しい経済社会になれば、それで人間社会がうまくいくわけではないことを今までさんざん学んだのではないか。正直言って、むしろ効率的に人間を利用してきた(ように見える)企業の方が苦境に陥ってないか?僕が池田信夫氏の考えに非常に疑問を感じるのはそこだ。非常に効率よく人間を評価し、活用し流動的に生かす。それが出来る「人間力判定スカウター」のようなドラえもんの道具でもあれば別だが、できないから困っているのだ。超一流といわれる企業でさえ。そこが人間の難しさだ。池田信夫氏のような意見は正論だと思う。だが、それにはエスパーか神のような未来にわたって人間を瞬時に評価できる超人事担当者がいれば、という前提が抜けている。

欧米経済絶好調だった成果を労働者に回すなんてもったいないと溜め込んだお金がどうなったかはサブプライムが教えてくれた。

けっきょく経営側と労働側がケンケンガクガクしているウチが本当の平穏なのかもしれない。どっちかが何も言えなくなったらそれが本当の危機だ。情けは人のためならず(もちろん、情けをかけるのは結局自分にかえってくる、という意味の方)とはよく言ったモノだ。